【OB近況報告】 2025年4月30日(水)平野多俊さん 講道館柔道八段昇段
- 城柔会事務局
- 5月1日
- 読了時間: 3分
更新日:5月9日
名城大学柔道部監督の平野多俊さん(S53卒)が本年4月30日付けで日本伝講道館柔道八段に昇段されました。
名城大学柔道部の卒業者は、一般企業・公務員に就職される方が多く、卒業後に柔道を続けられる環境は限られています。
平野さんも卒業後は公務員として、地域に貢献しながら、柔道を続けられていました。
限られた環境での八段昇段は賞賛の言葉しかありません。

平野さんのプロフィールは、後日ご報告いたしますが、城柔会の記念誌を読んでいると次のエピソードが見つかりました。
(関先生の寄稿文から抜粋)
柔道部の存在すらわからぬままに着任した私は、とりあえず道場に足を運びました。
15人前後で練習している部員を目にし数回足を運ぶ内にこの部を全国大会に出場させたく青春(29才)の血がさわぎ、当時の部員と向き合うことになりました。
「3年間で全国大会に出場させる・協力して欲しい。その基礎を作って欲しい」
と私の気持を伝えました 。


それと同時に部員勧誘の全国行脚がはじまり部活動も本格化していきました。
昭和50年度に9名の強者が入部してきました。新瑞のマンションで学生服の9人と一緒に食事したことは今でも忘れられません。
この9人が名城大学柔道部の第1期黄金時代を築いたといっても過言ではありません。
と寄稿文にありました。
(次に平野多俊さんの寄稿文から抜粋)
恩師の関先生と初めてお会いしたのは、昭和49年6月、福岡インターハイ三重県予選の時でした。
会場で、関先生から「これから名城大学柔道部を強くしていきたいから是非うちの大学へ来て欲しい」とのお誘いがありまして、優勝したのも功を奏して名城大学へ行こうと決めました。
とにかく日本武道館で行われる全日本学生柔道優勝大会に出場するという目標を掲げ、日々頑張って稽古に励みました。
当時は全日本学生への出場枠は東海地区で3校しか出場できませんでした。
やはり当時の試合でー香の思い出は、東海学生夏季柔道優勝大会です。
昭和52年、3年生の時、準決勝で中京大に負け、3位決定戦で愛知学院大と同点となり代表戦、名城大学は私が代表戦に選ばれ、延長2回、判定勝ち、名城大学が初めて全日本学生の出場を果たすことができました。今でもこの試合だけは鮮明に記憶しています。

との記載がありました。
関先生が、新瑞のマンションで学生服の9人と食事したうちのひとりが、平野さんです。
平野さんが3年生のとき、東海学生優勝大会で愛知学院大学と対戦し、1-1の代表戦となりました。
今の柔道では考え難いですが、平野さんが2回代表を努め、名城大学が初の全日本学生柔道優勝大会に出場することになりました。

今回、城柔会として名城大学柔道部監督でもある「平野多俊先生の日本伝講道館柔道八段昇段祝賀会」を催す運びとなりました。
急な話しで日程調整が難しいとは思いますが、出席のほどよろしくお願いいたします。



